男子京都部

京都大愛好家一年生に向けた京都”駆け巡り”指南ブログ 

一条通りwalk

1日目、一条通りwalk。

<全体図>

起点:烏丸通(京都御苑西側)

終点:妙心寺北総門前

<所要時間>

約2時間

※以下に記載されているような寄り道含め、ゆっくり歩いた想定

(参考)stravaの記録

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烏丸通沿いに立つ一条通りの標識がスタートポイントの目印。

ここから、十日間に及ぶ一日一条十日で十条ウォーキングが始まる。

張り切っていこう!

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まず最初に出てくるのは和菓子の名店「とらや」さん。

室町時代後期創業で5世紀に渡り続く超老舗店。

後陽成天皇の御在位中(1586〜1611))から御所の御用を勤めていたらしいが、だからこんなに御所の近くにあるのか。

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ここから烏丸通を背に住宅路に入り一条通りを西へ少し進んでいくと、室町通手前にとらや茶寮というとらやの和菓子を店の中で食べれる喫茶店風のお店が出てくる。

 

僕はこっちのお店だけ入ったことがあり和菓子を頂いたことがあるが、流石名店...どれも(大学生には)少し高い....。その中でも一番安かったのを頼んで食べたけど、値段相応、めちゃくちゃ美味しい。小さな和菓子をありがたくありがたくゆっくり食べた。ラーメン好きの僕はがつがつ食べるのが主だけど、このときばかりは。

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とらや茶寮左手方向、室町通を挟んですぐのところに今度はお味噌の超老舗店「本田味噌本店」さんが見える。

江戸時代天保元年から凡そ200年続く老舗店で、とらや同様禁裏御所御用達の店だったそう。江戸を「東京」と読んだのに対して京都を「西京」と読んだことから本田味噌の味噌を「西京味噌」と命名。今では西京白味噌が特に有名なお店です。

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ここでオススメしたいのが、「一わんみそ汁」。麩焼に味噌の粉を包んだもので、お椀に割って入れるだけでみそ汁が飲めるというもの。本田味噌は京都でも有名な店ですし、ビジュアル的にも面白く、「ありがとう」の文字などが印字されているのでお土産におすすめです!

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また道を進み西洞院通手前にさしかかった時、

 

これは!!!

 

あの!美山高等学校ジャン!!!

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どの美山高等学校やねん

って方は、まだこの記事を読んでませんね?

puchimikan.hatenablog.com

ぜひ読んでみてください。そういうことかってなるので。

けどちょっと感動したな、あんな山奥で見つけたもう使われていない古い学寮の現在の姿が見れるなんて。これも京都を遠くまで巡ったから味わえた喜び。

誇らしいねえ

 

さて、この西洞院通を越えて次に出てくるのは小川通。この通りより西側から明らかに道幅が広くなっている。下の写真の手前を通るのが小川通。よく見ると分かるかと。

今までの道に出てきた南北方向へ続く道は平安時代のものだけど、この小川通りは秀吉が作った通りだそう。それも関係あるのかな。

 

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そんな小川通の次は油小路通。この通りの南側に少し寄り道していこう。

1枚目の標識にある通り、南方向へ少し下がったところに「樂美術館」がある。

 

樂美術館は樂焼窯元・樂家(写真三枚目に石碑)に隣接して建てられている。1978年樂家十四代吉左衞門・覚入によって開館、収蔵作品は樂歴代作品を中心に、茶道工芸美術品、関係古文書など樂家に伝わった作品を中心に構成されている。(HPより引用)

www.raku-yaki.or.jp

 

樂家と言えば千家十職(茶道に関わり三千家に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称)の一つ。京都検定にも出がち。ちなみに初代は長次郎。

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樂焼窯元・樂家

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この石碑にある樂 吉左衞門(らく きちざえもん)は、樂家が代々襲名している名称。

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隣接して建つ樂美術館。

 

一条通りに戻る。

次はVoicyで先に聞いて楽しみにしていた小野小町双紙洗水遺跡(そうしあらいのみずいせき)。小さな石碑で見つけにくいとのことで惹かれた。

油小路通を一本進んだところ(小町通り)の十字路の北西角にその石碑はあった。

確かにめっちゃ見つけにくい。

 

小町通り、googlemapには表記がなかったので調べてみたときに見つけたサイト。

こういう2000年過ぎてすぐくらいのサイト、オタクが作ってるからすげーのが多めな気がする。

www7b.biglobe.ne.jp

 

石碑の由来はこのサイトから引用させていただきます。

謡曲「草(双)紙洗小町」によると,宮中の歌合で,小野小町(生没年未詳)の対戦相手大友黒主(生没年未詳)は,小町の歌が万葉集の古歌からの盗作であると訴え,証拠の万葉集の草子(草紙)を突きつけた。これをよく見ると加筆した跡があり,小町が庭の遣り水で草子を洗うと歌の文字が流れ消えたという。この石標は,小町が草子を洗ったと伝える跡を示すものである。なお,かつてこの地には清和水や更級水とも呼ばれる京都の名水が湧いていた。

ちなみに一緒に見つけたこのサイトもすごい。一応。

www2.city.kyoto.lg.jp

下の○印と矢印のとこの二箇所に石碑はある。

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一つ目が○印の方の石碑。

クローバーに囲まれている上、石碑も茶色版でいるのが可愛くて萌える。

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矢印の方の石碑。こっちは見つけづらい。。

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そして!ついに出ました一条戻橋!

一条通りと言えばここが一番有名なんじゃないかな。

堀川通に出る手前にかかる橋。

一応由来と京都に伝わるならわしを書いておきます。

 

お嫁入りの時、戻り橋を渡らない

平安時代文章博士(大学寮に属して詩文と歴史とを教授していた教官)三善清行が没したことを聞いた子の浄蔵尊所が、この橋の上で父の葬列に出くわし、棺にすがって泣き崩れると、父が一時蘇ったことから「戻り橋」と呼ぶようになった。

「戻り」にこだわり、嫁いだ先から戻ってこないようにと婚礼時には橋を渡らないように遠回りする。

                                              (京都観光文化試験公式テキストブックより引用) 

また、戦時中は無事に戻ってこれるよう戦争前に兵隊さんはこの橋を通ってから戦地へ向かう風習もあったとか。

 

 

また、2月下旬から三月上旬にかけては三条大橋と同じく、早咲きの桜の河津桜が咲くことでも有名。

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ここの橋のあたりは結構見所がたくさんあるので紹介したい。

まずは橋の下に降りてみる。

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この堀川通沿いに流れる水、昔は琵琶湖から来て二条城のお堀まで続いてたんだよな。今は途中で途切れてるから鴨川の水だけど。

これも琵琶湖疏水の力。琵琶湖疏水についてはまた今度ブログ書こうと思うから読んでね。

 

この水路沿いを南方向へ進んで行って一つ目の橋が堀川第一橋(中立売橋とも)。

あ〜〜好き、この景色。良い橋。。

 

江戸時代には御所から二条城へ向かう際に渡る公儀橋としても用いられていたそう。

また3枚下の写真を見ると分かるが、全国的にも稀な石造の真円アーチの橋になっている。

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実はこの橋(堀川第一橋ではなく下流側のアーチ橋)、昔は京都市電の北野線が通った橋だった。1枚目と2枚目を比較したらわかってもらえるはず。元は川に対して直角に渡り転車台を使って方向転換していたのだが止まりきれず民家にぶつかるなどの事故が起こってしまったためしばらくしてから斜め方向の鉄橋をかけたのだ。それが写真一枚目。他の古い写真などをみると川に直角のものなども見られるがそれはこういった由来があってのもの。

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上の写真の左下に見える飛び石、よくみるとひし形っぽい形になっている。川に対して垂直になっていない。そう、これは電車の軌道敷が走っていた場所を示しているのだ。一見すると不自然な形にも由来がある。飛び石の配置は撮り忘れていたけど3枚上の写真見たらまだ分かるかな・・・?

 

 

このレンガも市電時代の遺構。

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上に登って撮った写真。

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この橋を渡ると出てくる大通りが堀川通烏丸通から一本西の大通りだ。

ここでまた寄り道をしていこう。

北方向へ進んで、晴明神社へ。

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平安時代陰陽師安倍晴明を祀るこの神社。鳥居には五芒星(晴明桔梗とも呼ばれる晴明公が創られた陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつ)のマークが。

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この神社にはかつて実際に戻橋で使われていた欄干の親柱を使用した旧一条戻橋が置かれている。併せて訪れてほしい。

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さてまた堀川一条に戻り今度はスタート付近よりももっと細い道を進む。

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少し進み猪熊通を過ぎたあたりで石碑が立っているのが見つかる。

黒田如水邸跡」──黒田官兵衛の邸宅跡

ほぉ

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この石碑を過ぎてちょっとだけ行ったところに下の写真赤丸のような町内看板がありこれを見てみる。

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さっきの石碑にあるように、この辺りは黒田如水の邸宅のあった地でありそこから由来して如水町と言うらしい。面白い地名の由来が町内看板で知れるのは嬉しい。

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なら探すしかないな、消火器

 

 

見つけ

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他にも近くには面白い地名が多かったので消火器探しをした。

これは京都の町歩きの楽しみ方の一つだと思っている(人通り多いとこで撮ってると恥ずかしいけど)。

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黒田如水の旧姓小寺孝高にちなむ小寺町。

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黒門通りを北に上がるとこんな石碑が。

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上杉景勝(弾正)少弼(しょうひつ)に由来する「弾正町」。

江戸初期からこの地名だそう。

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同じく黒門通り南側にええ感じの建築物が!

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南へ下がるとええ感じの銭湯が!

白山湯さん。

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これはまたまた同じく黒門通りの北へ上がったところにある「鎧廼舎・うさぎ塾」。 

調べてみると鎧作家による本格「手作り甲冑(鎧兜)教室」らしい。

 
なんやそれ〜〜〜〜
作ってどうすんねん〜〜〜(おいでやすこがの小田さん風)
 
が率直な感想やけど、
物好きな人はいるからなあ、一般人がなんやそれって思うような場所ってコアな人からしたら最高な場所だったりするから、きっと需要ある人にはとことん需要あるんちゃうかな。

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左隣の漢方屋さん。漢方の匂いが漂ってきてびっくり。

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ここの一条大宮一帯だけなぜか異様に道幅が広い。

道幅って言っていいのか?というレベル

ググっても見つからないのでオーバーレイマップで昭和大正明治と遡ってみたところ、明治25年時点では何か建物が立っていた地域らしいけど大正元年時点ではすでにこの謎の空白地帯は出来ていた模様。。この約20年の間に何があったのか、、分かる人いたら教えてくださいめっちゃ気になります。

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現在の大宮一条

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大正元年の大宮一条

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明治25年の大宮一条。四角で囲った部分が空白地帯。

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仁丹みっけ。

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大宮通り次の智恵光院通り。この通りの北側がかつての聚楽第のお堀の跡になっている。

京都の傾斜は歴史があることが多いので楽しい。

下3枚、よーーく見ると傾斜が付いてるのが分かるだろうか

こういう坂道を撮りたい時はよく坂道側面部の壁を撮ることで傾斜を見せるようにしている。台形っぽくなっているのが分かると思う。

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これは智恵光院通の由来の智恵光院。

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智恵光院の一本西もお寺の名前が通りの名前の由来になっている。浄福寺通

北へ上がっていきパッと目立つ赤門が見えたらそれが浄福寺

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ここもそうなんだけど、お寺の中にある幼稚園って結構多いよな?

仏様のご加護に守られてる的な意味があるんやろか?

 

この浄福寺、赤門と同じく有名なのが「日本最古の違法建築」と呼ばれる建築。

違法建築とはどういうことか?

本堂(写真)は外から見ると、一見左手側だけのように見えるのですが、実は右手側の建物とも繋がっていて、中に入ると広々とした空間となっているのです。これが、江戸時代に作られたおきて「三間梁(さんげんはり)規制」に違反するということで最古の違法建築と言われています。

 

三間梁規制とは、建物の大きさを三間(畳縦三畳分)すなわち約5.4mまでに規制するもの。江戸時代の前期に定められ、徳川吉宗による享保の改革で厳格に適用されるようになりました。しかし折悪く、1730年の享保の大火で浄福寺ではそれまでの本堂は焼失してしまい、再建時にはこの規制の対象とならざるをえません。お寺では檀家を集めて法要を行うために広い場所を確保する必要があり、狭い本堂では意味がない。ということで一計を案じ、外観は別棟のようにして中はこっそりつなげて広くしました。再建は1733年のことです。

 

下記ブログより引用 

kyoto-tabiya.com

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また、赤門入ってすぐ右の建物にも注目。

その後、1788年には京都を広く焼いた天明の大火が起こります。西陣も例外ではなかったのですが、なんと浄福寺では、ご神木のモチの木の上に鞍馬天狗が降り立ち、大うちわで火が近寄らないように仰いで、延焼を防いだと言われています。そんな由来から赤門の脇では、護法大権現として天狗を祀っています。鞍馬寺の本尊である尊天の一人も護法魔王尊(サナートクマラ)と言いますね。

(同サイト引用)

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門は額縁。外の街と一体化する。

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西陣京極。千本通の雰囲気は前から好きだったけど、千本通から一本東に行ったこんなところにもっといい感じの場所があるとは。

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ごちゃごちゃした感じが良い。。

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またもや仁丹。

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京極湯。なんて言ったらいいのかわらんけど、このカラフルな感じの壁面が良い。道頓堀のネオンに通じる良さ。その京都版と言ったところ?

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夜来たら更に良さそうやな〜〜。

居酒屋街。

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今日はあひるがおるのか〜〜〜

 

それはいかなくっちゃな。

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またまた仁丹。。。

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そんなこんなで千本通を超えて一条通りを更に進むと、この店に突き当たる。

 

「とようけ屋 山本」さん。

明治三十年から続く老舗のお豆腐屋

 

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ここでさっき本田味噌本店で買った味噌のことを思い出す。

 

せや!ここで豆腐買って豆腐入れたらいいんや!

 

そうやって購入し出来たお味噌汁がこちら。

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美味〜〜〜〜〜〜

 

一条通りwalkする時はぜひこれをやって欲しい。

 

この突き当たりを左に行くと、北野天満宮周辺を散策したことがある人なら見慣れた景色になると思う。

七本松一条の辺り。

 

 

 

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