一条通りwalk
1日目、一条通りwalk。
<全体図>
終点:妙心寺北総門前
<所要時間>
約2時間
※以下に記載されているような寄り道含め、ゆっくり歩いた想定
(参考)stravaの記録
烏丸通沿いに立つ一条通りの標識がスタートポイントの目印。
ここから、十日間に及ぶ一日一条十日で十条ウォーキングが始まる。
張り切っていこう!
まず最初に出てくるのは和菓子の名店「とらや」さん。
室町時代後期創業で5世紀に渡り続く超老舗店。
後陽成天皇の御在位中(1586〜1611))から御所の御用を勤めていたらしいが、だからこんなに御所の近くにあるのか。
ここから烏丸通を背に住宅路に入り一条通りを西へ少し進んでいくと、室町通手前にとらや茶寮というとらやの和菓子を店の中で食べれる喫茶店風のお店が出てくる。
僕はこっちのお店だけ入ったことがあり和菓子を頂いたことがあるが、流石名店...どれも(大学生には)少し高い....。その中でも一番安かったのを頼んで食べたけど、値段相応、めちゃくちゃ美味しい。小さな和菓子をありがたくありがたくゆっくり食べた。ラーメン好きの僕はがつがつ食べるのが主だけど、このときばかりは。
とらや茶寮左手方向、室町通を挟んですぐのところに今度はお味噌の超老舗店「本田味噌本店」さんが見える。
江戸時代天保元年から凡そ200年続く老舗店で、とらや同様禁裏御所御用達の店だったそう。江戸を「東京」と読んだのに対して京都を「西京」と読んだことから本田味噌の味噌を「西京味噌」と命名。今では西京白味噌が特に有名なお店です。
ここでオススメしたいのが、「一わんみそ汁」。麩焼に味噌の粉を包んだもので、お椀に割って入れるだけでみそ汁が飲めるというもの。本田味噌は京都でも有名な店ですし、ビジュアル的にも面白く、「ありがとう」の文字などが印字されているのでお土産におすすめです!
また道を進み西洞院通手前にさしかかった時、
これは!!!
あの!美山高等学校ジャン!!!
どの美山高等学校やねん
って方は、まだこの記事を読んでませんね?
ぜひ読んでみてください。そういうことかってなるので。
けどちょっと感動したな、あんな山奥で見つけたもう使われていない古い学寮の現在の姿が見れるなんて。これも京都を遠くまで巡ったから味わえた喜び。
誇らしいねえ
さて、この西洞院通を越えて次に出てくるのは小川通。この通りより西側から明らかに道幅が広くなっている。下の写真の手前を通るのが小川通。よく見ると分かるかと。
今までの道に出てきた南北方向へ続く道は平安時代のものだけど、この小川通りは秀吉が作った通りだそう。それも関係あるのかな。
そんな小川通の次は油小路通。この通りの南側に少し寄り道していこう。
1枚目の標識にある通り、南方向へ少し下がったところに「樂美術館」がある。
樂美術館は樂焼窯元・樂家(写真三枚目に石碑)に隣接して建てられている。1978年樂家十四代吉左衞門・覚入によって開館、収蔵作品は樂歴代作品を中心に、茶道工芸美術品、関係古文書など樂家に伝わった作品を中心に構成されている。(HPより引用)
樂家と言えば千家十職(茶道に関わり三千家に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称)の一つ。京都検定にも出がち。ちなみに初代は長次郎。
樂焼窯元・樂家
この石碑にある樂 吉左衞門(らく きちざえもん)は、樂家が代々襲名している名称。
隣接して建つ樂美術館。
一条通りに戻る。
次はVoicyで先に聞いて楽しみにしていた小野小町双紙洗水遺跡(そうしあらいのみずいせき)。小さな石碑で見つけにくいとのことで惹かれた。
油小路通を一本進んだところ(小町通り)の十字路の北西角にその石碑はあった。
確かにめっちゃ見つけにくい。
小町通り、googlemapには表記がなかったので調べてみたときに見つけたサイト。
こういう2000年過ぎてすぐくらいのサイト、オタクが作ってるからすげーのが多めな気がする。
石碑の由来はこのサイトから引用させていただきます。
謡曲「草(双)紙洗小町」によると,宮中の歌合で,小野小町(生没年未詳)の対戦相手大友黒主(生没年未詳)は,小町の歌が万葉集の古歌からの盗作であると訴え,証拠の万葉集の草子(草紙)を突きつけた。これをよく見ると加筆した跡があり,小町が庭の遣り水で草子を洗うと歌の文字が流れ消えたという。この石標は,小町が草子を洗ったと伝える跡を示すものである。なお,かつてこの地には清和水や更級水とも呼ばれる京都の名水が湧いていた。
ちなみに一緒に見つけたこのサイトもすごい。一応。
下の○印と矢印のとこの二箇所に石碑はある。
一つ目が○印の方の石碑。
クローバーに囲まれている上、石碑も茶色版でいるのが可愛くて萌える。
矢印の方の石碑。こっちは見つけづらい。。
そして!ついに出ました一条戻橋!
一条通りと言えばここが一番有名なんじゃないかな。
堀川通に出る手前にかかる橋。
一応由来と京都に伝わるならわしを書いておきます。
お嫁入りの時、戻り橋を渡らない
平安時代、文章博士(大学寮に属して詩文と歴史とを教授していた教官)三善清行が没したことを聞いた子の浄蔵尊所が、この橋の上で父の葬列に出くわし、棺にすがって泣き崩れると、父が一時蘇ったことから「戻り橋」と呼ぶようになった。
「戻り」にこだわり、嫁いだ先から戻ってこないようにと婚礼時には橋を渡らないように遠回りする。
(京都観光文化試験公式テキストブックより引用)
また、戦時中は無事に戻ってこれるよう戦争前に兵隊さんはこの橋を通ってから戦地へ向かう風習もあったとか。
また、2月下旬から三月上旬にかけては三条大橋と同じく、早咲きの桜の河津桜が咲くことでも有名。
ここの橋のあたりは結構見所がたくさんあるので紹介したい。
まずは橋の下に降りてみる。
この堀川通沿いに流れる水、昔は琵琶湖から来て二条城のお堀まで続いてたんだよな。今は途中で途切れてるから鴨川の水だけど。
これも琵琶湖疏水の力。琵琶湖疏水についてはまた今度ブログ書こうと思うから読んでね。
この水路沿いを南方向へ進んで行って一つ目の橋が堀川第一橋(中立売橋とも)。
あ〜〜好き、この景色。良い橋。。
江戸時代には御所から二条城へ向かう際に渡る公儀橋としても用いられていたそう。
また3枚下の写真を見ると分かるが、全国的にも稀な石造の真円アーチの橋になっている。
実はこの橋(堀川第一橋ではなく下流側のアーチ橋)、昔は京都市電の北野線が通った橋だった。1枚目と2枚目を比較したらわかってもらえるはず。元は川に対して直角に渡り転車台を使って方向転換していたのだが止まりきれず民家にぶつかるなどの事故が起こってしまったためしばらくしてから斜め方向の鉄橋をかけたのだ。それが写真一枚目。他の古い写真などをみると川に直角のものなども見られるがそれはこういった由来があってのもの。
上の写真の左下に見える飛び石、よくみるとひし形っぽい形になっている。川に対して垂直になっていない。そう、これは電車の軌道敷が走っていた場所を示しているのだ。一見すると不自然な形にも由来がある。飛び石の配置は撮り忘れていたけど3枚上の写真見たらまだ分かるかな・・・?
このレンガも市電時代の遺構。
上に登って撮った写真。
この橋を渡ると出てくる大通りが堀川通。烏丸通から一本西の大通りだ。
ここでまた寄り道をしていこう。
北方向へ進んで、晴明神社へ。
平安時代の陰陽師・安倍晴明を祀るこの神社。鳥居には五芒星(晴明桔梗とも呼ばれる晴明公が創られた陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつ)のマークが。
この神社にはかつて実際に戻橋で使われていた欄干の親柱を使用した旧一条戻橋が置かれている。併せて訪れてほしい。
さてまた堀川一条に戻り今度はスタート付近よりももっと細い道を進む。
少し進み猪熊通を過ぎたあたりで石碑が立っているのが見つかる。
ほぉ
この石碑を過ぎてちょっとだけ行ったところに下の写真赤丸のような町内看板がありこれを見てみる。
さっきの石碑にあるように、この辺りは黒田如水の邸宅のあった地でありそこから由来して如水町と言うらしい。面白い地名の由来が町内看板で知れるのは嬉しい。
なら探すしかないな、消火器
見つけ
他にも近くには面白い地名が多かったので消火器探しをした。
これは京都の町歩きの楽しみ方の一つだと思っている(人通り多いとこで撮ってると恥ずかしいけど)。
黒田如水の旧姓小寺孝高にちなむ小寺町。
黒門通りを北に上がるとこんな石碑が。
上杉景勝(弾正)少弼(しょうひつ)に由来する「弾正町」。
江戸初期からこの地名だそう。
同じく黒門通り南側にええ感じの建築物が!
南へ下がるとええ感じの銭湯が!
白山湯さん。
これはまたまた同じく黒門通りの北へ上がったところにある「鎧廼舎・うさぎ塾」。
調べてみると鎧作家による本格「手作り甲冑(鎧兜)教室」らしい。
左隣の漢方屋さん。漢方の匂いが漂ってきてびっくり。
ここの一条大宮一帯だけなぜか異様に道幅が広い。
道幅って言っていいのか?というレベル
ググっても見つからないのでオーバーレイマップで昭和大正明治と遡ってみたところ、明治25年時点では何か建物が立っていた地域らしいけど大正元年時点ではすでにこの謎の空白地帯は出来ていた模様。。この約20年の間に何があったのか、、分かる人いたら教えてくださいめっちゃ気になります。
現在の大宮一条
大正元年の大宮一条
明治25年の大宮一条。四角で囲った部分が空白地帯。
仁丹みっけ。
大宮通り次の智恵光院通り。この通りの北側がかつての聚楽第のお堀の跡になっている。
京都の傾斜は歴史があることが多いので楽しい。
下3枚、よーーく見ると傾斜が付いてるのが分かるだろうか
こういう坂道を撮りたい時はよく坂道側面部の壁を撮ることで傾斜を見せるようにしている。台形っぽくなっているのが分かると思う。
これは智恵光院通の由来の智恵光院。
智恵光院の一本西もお寺の名前が通りの名前の由来になっている。浄福寺通。
北へ上がっていきパッと目立つ赤門が見えたらそれが浄福寺。
ここもそうなんだけど、お寺の中にある幼稚園って結構多いよな?
仏様のご加護に守られてる的な意味があるんやろか?
この浄福寺、赤門と同じく有名なのが「日本最古の違法建築」と呼ばれる建築。
違法建築とはどういうことか?
本堂(写真)は外から見ると、一見左手側だけのように見えるのですが、実は右手側の建物とも繋がっていて、中に入ると広々とした空間となっているのです。これが、江戸時代に作られたおきて「三間梁(さんげんはり)規制」に違反するということで最古の違法建築と言われています。
三間梁規制とは、建物の大きさを三間(畳縦三畳分)すなわち約5.4mまでに規制するもの。江戸時代の前期に定められ、徳川吉宗による享保の改革で厳格に適用されるようになりました。しかし折悪く、1730年の享保の大火で浄福寺ではそれまでの本堂は焼失してしまい、再建時にはこの規制の対象とならざるをえません。お寺では檀家を集めて法要を行うために広い場所を確保する必要があり、狭い本堂では意味がない。ということで一計を案じ、外観は別棟のようにして中はこっそりつなげて広くしました。再建は1733年のことです。
下記ブログより引用
また、赤門入ってすぐ右の建物にも注目。
その後、1788年には京都を広く焼いた天明の大火が起こります。西陣も例外ではなかったのですが、なんと浄福寺では、ご神木のモチの木の上に鞍馬天狗が降り立ち、大うちわで火が近寄らないように仰いで、延焼を防いだと言われています。そんな由来から赤門の脇では、護法大権現として天狗を祀っています。鞍馬寺の本尊である尊天の一人も護法魔王尊(サナートクマラ)と言いますね。
(同サイト引用)
門は額縁。外の街と一体化する。
西陣京極。千本通の雰囲気は前から好きだったけど、千本通から一本東に行ったこんなところにもっといい感じの場所があるとは。
ごちゃごちゃした感じが良い。。
またもや仁丹。
京極湯。なんて言ったらいいのかわらんけど、このカラフルな感じの壁面が良い。道頓堀のネオンに通じる良さ。その京都版と言ったところ?
夜来たら更に良さそうやな〜〜。
居酒屋街。
今日はあひるがおるのか〜〜〜
それはいかなくっちゃな。
またまた仁丹。。。
そんなこんなで千本通を超えて一条通りを更に進むと、この店に突き当たる。
「とようけ屋 山本」さん。
明治三十年から続く老舗のお豆腐屋。
ここでさっき本田味噌本店で買った味噌のことを思い出す。
せや!ここで豆腐買って豆腐入れたらいいんや!
そうやって購入し出来たお味噌汁がこちら。
美味〜〜〜〜〜〜
一条通りwalkする時はぜひこれをやって欲しい。
この突き当たりを左に行くと、北野天満宮周辺を散策したことがある人なら見慣れた景色になると思う。
七本松一条の辺り。
賀茂川の水源を辿るべし
「ただ、"源"を求めて上へ上へと辿っていく」という行為が好きだ。
大阪に帰って淀川を見ても、ここに流れる水は元をたどれば鴨川の水も混ざってるんだと思えると楽しいから。目に見える世界だけが全てじゃなくなる。
川の先、道の先の景色を知っているとその先にある景色を同時に想像できる。
川端通に立てば大原の里が見えるし、
八坂神社から西を向けば松尾大社が見えるし、
京都一周トレイルのスタート地点を見れば京都一周トレイルのゴール地点が見える。
そういうのの繰り返しで自分の中の世界が小さくなるように思う。
右見ても左見てもその先の世界が見えるから。
けどこの感覚を得るには実際に自分で道の先、川の先を見に足を運ばないといけない。
遠くへ続く線の起源を目指して実際に辿らないといけない。
この行為の繰り返しで少しずつ少しずつ京都を小さくしていきたい。
小さくして小さくして最後には飴ちゃんくらいの小ささにして、飲み込みたい。
この感覚を理解する方法の一つとして賀茂街道サイクリングを提案したい。
西側が賀茂川、東側が高野川だ。
この賀茂川の源流が雲ヶ畑出合橋付近に、高野川の源流が大原(厳密にはもう少し北の途中峠)にある。
大原の里や途中峠も行ったことあるがあまり源流感を感じられないので、賀茂川の上流をおすすめする。
上賀茂神社付近の御園橋、西賀茂橋や柊野堰堤のある静かな雰囲気の地域を抜けると山道になる。京都の山道の色々なところをサイクリングしてきたがこのコースはかなり気持ちがいい。景色の変わり方も楽しいし。
そうこうして進んでいくと、雲ヶ畑に着く。この地域にあるのが「志明院」というお寺だ。ここへの到着を持ってゴールとする。
ただ、この志明院に着くまでのラスト500mくらい(二股路を左手に進んだ先,下の写真)がママチャリだとかなりきつい。最後の最後に耐えきれずに降りてしまったほど。
志明院の中は撮影禁止なので撮れなかったが、山奥にあることもあって市街地ではなかなかない雰囲気の作りになっている。このお寺の山号は「岩屋山」というのだが、この岩屋という言葉に似て、岩で作られた部屋のような空間があるのだ。
しばらく修行道のような急な階段を登ると岩穴が二つ空いている。その岩陰を岩屋としており、岩屋内には二体の石仏が安置され、花が手向けられている。
これって珍しくない?めっちゃ好きだった。
司馬遼太郎が好んだ山寺で、アニメ「もののけ姫」のタイトルもこの森から生まれたといわれているらしい。
余談だが、この賀茂川の水源を辿るという行為、似たようなことを神様もしている。
上賀茂神社の祭神賀茂別雷神の母親であり賀茂一族の一人、玉依姫命にまつわる話だ。
玉依姫命は水源を求めて賀茂川をさかのぼり、上流にある貴船川をさらに登り、今でいう貴船神社のあるあたりに祠を立てたそう。これが貴船神社の起源で、この「きふね」という名前も玉依姫命が乗っていた黄色の船、「黄船」からついたらしい。
おもしろい!
賀茂川の水源を辿ったあと、賀茂大橋の上に立って左側から流れてくる賀茂川を見てみて欲しい。
この水が流れてくる源、雲ヶ畑の志明院まで(脳裏に)見えるはずだ。
そういえば、
バショウカジキよりも新幹線よりもロケットよりも光よりも早いものは、人間の想像力だ
って小さい頃絵本で読んだのを思い出した。
美山までサイクリングすべし
美山かやぶきの里までのサイクリングについて書きまーす
今回も勿論ママチャリサイクリング。いいチャリなくてもここまで来れるよ
大学二回生の秋、色んなところまでサイクリングしたけどこの回が距離としては一番長かったな。合計115km。坂道もなかなかのきつさだった。
なんでこのサイクリングを推すかというと、ママチャリでもここまでこれるんだって思えるようになるから。ちょっとバスの少ない山の方で行きたいとこある時に、往復100kmでも「なら行けるか」って思えるようになる。良くも悪くも(?)リミッターが外れるのが良いところ。
ルート
周山、美山、広河原、花背を全部通るという贅沢コース。この四つ知ってたら京都市がより広く見えるようになって結構楽しめると思う。
花背、広河原は出町柳から京都バスも通っているが片道1100円かかる。鞍馬寺のさらに奥を行くんだけど急坂で細道で山道という酷道なのでバスはクラクション代わりに大音量で曲を流しながら運転する。流す曲は決まっていて、広河原行きはグリーンスリーブス、出町柳行きはアニーローリーだ。夕方、自転車を漕いでこの辺りを走っているとこの曲を流して通るバスと行き違うことがあるが、なんかゾッとする。音楽流して山の奥深くに入っていくバスって怖いやん....動いてはいても車掌席に誰もいないんじゃないかとか、中の客はみんな神隠しにあった子供達なんじゃないかとか。。アニメの「迷家ーマヨイガー」を思い出す。
天気に恵まれて全体的に気持ちのいいサイクリングだった。昼ごはんは周山にあるオープンテラスの開放的なレストランで食事!美味い!
食後しばらく進むと美山かやぶきの里に到着。
これは広河原にあった堰源小中学校の廃校舎とその近くにあった廃墟。今日イチテンション上がった。
これもちょっとテンション上がった
超山奥にあるこんな寒いとこでこんな丸太造りのお粗末な寮とか絶対寒かっただろうな、けどこんな隔離された環境絶対楽しいだろうな、とか考えてた。
男子校であって欲しい、野郎だけの青春がここにあって欲しい。
しらない道をチャリ漕ぐのはワクワクして楽しい。
これは花背と広河原の松上げで使う松明。
松上げというのは京都~丹波~若狭(若狭街道)にかけてお盆の時期(概ね8月24日の地蔵盆)に行われる火祭りのこと。きっと大迫力だからいつか見てみたいんだよな。
一応実際の動画を。
写真では伝わらないと思う。
山道を100km漕いで漕いで、最後の峠を登り切って見えてきたのがこの景色。
山に囲まれた街からオレンジ色の光を漏らす京都は宝石箱みたいだ。これぞ現代の山城国。
これだからサイクリングはやめられない。
僕は脳裏から消えようのない絶景を幾つ見てきただろうか、分かんないけどこういう景色を見てると自分の人生までもが誇らしくなっちゃうんだよな。
「映え」スポットに行って見る景色とはわけが違うわけで。
自分の足で辿り着いた場所だから
宣伝された「映え」にしか集えない人間になりたくない。
もっと遠くに行こう
紅葉シーズン、修学院離宮を訪れるべし
紅葉シーズン色んな場所へ紅葉を見に行ったが、その中で一二を争うほど良かったところを紹介したい。
叡山電鉄修学院駅から徒歩30分、少し坂を登ったところにある修学院離宮だ。
修学院離宮は17世紀中頃、後水尾上皇によって造営されたもの。
この修学院離宮と同じ役割を果たしていた離宮が岩倉にある。そう、円通寺だ。しかしそこは少し高台にあり、水の弁が良くない立地にある。そこで元々幡枝離宮と呼ばれていたこの建物がお寺へと改められ、円通寺となったという経緯だ。この円通寺、比叡山ファンの僕にとっては特に好きなお寺だ。なぜなら、幡枝離宮を設けた後水尾上皇が直々に京都を歩いて周り、比叡山を一番綺麗に見える場所を探し求め、比叡山を借景として作られた借景庭園を含んでいるからだ。それだけ絶景の借景庭園となっている。ぜひ行ってみて欲しい。
さて、ここで幡枝離宮から移されたのが比叡山麓の地にある修学院離宮。上記のエピソードから分かるように、後水尾上皇は庭園などにも造詣が深いと言われていたそうだ。
そんな後水尾上皇によって考えられた広大な離宮、夢がありますよね〜〜
てなわけで、紅葉シーズンに行ってみました。
基本は予約制ですが、当日券もあるにはあります。しかし朝早くに行かないと取れないので地元民じゃない人はオススメはできません。僕は家が近いので当日券を手に入れましたが手に入らなかったおばあちゃんたちが嘆いていてかわいそうでした。
さて、二十人ぐらいのグループで回ったのですが、宮内庁管轄ということで全員まとまって解説を聴きながら進みます。
楽只軒の隣にある客殿。
天下の三大名棚の一つの「霞棚」や、円山応挙によって鯉の網が書かれた杉戸などがある。鯉の筆者は住吉具慶だそう。
もう写真では伝わらないほどの絶景。この地を見つけ出して離宮を設けた後水尾上皇は天才。市街地も眺められ、北に続く山々も眺められ、すぐ下には立派な池がある。京都を眺める上で一番贅沢な立地かもしれない。
下から3枚目の写真の開いた窓のうち右側の方だけ床が少し上がって窓の下に一枚板で肘掛のようなスペースがあるんだけど、「お肘寄せ」と言うらしい。ここに肘を掛けながら、和菓子を食べながら、暖かいお茶を飲みながら、秋の京都を見ていたのかもしれない。
贅沢の極みっっっっ
紅葉がめっちゃ綺麗だけど事前予約制ということもあって雑誌などにはまず取り上げられてないと思う。けど京都屈指の紅葉の名所だと僕は思う。行ってみて欲しい。
京都市内とは思えない秘境「京北」で夏を楽しむべし
京都市街地から周山街道を北の方に山を越えて行くと少し拓けた「周山」に出る。ここの近辺の地域を含め「京北町」と呼ばれている。ここ、なんと京都市右京区に含まれる場所なのだ。バスでかなり山奥に行くからそんな気がしないけど。ここを歩くだけで、京都市が思っていたより広いことを知れる。
おそらく、廃墟マニアの人たちと話すと京都といえば京北町をあげるんじゃないかな、そんな雰囲気の地域が多い。
ここに京都一周トレイルの京北コースがある。
JRバス細野口駅付近がスタート地点で、一周34.8km。
1日で回れるくらいの距離だけど、今回はのんびり二日に分けて歩いた。
バスが少ないので要注意。あと、熊も出やすいみたいだから要注意。秋頃の早朝,夕暮れ時は特に。
バスの始発で細野口に向かいトレイルスタート。
まずは「滝又の滝」を目標に向かう。坂はしんどくないけど足元が結構荒れてた。
1日目で一番テンション上がった場所。賀茂神社。
山の中に突然現れる。静かで鳥の声くらいしか聞こえない場所にこんな神社あったらテンション上がるな。
ここ目当てで来ている人も数人いてマニアックやなって。
「山国」という地域。かつて時代祭の先頭を歩いていたのはこの地域由来の山国隊。毎年10月にある山国祭では今でも勇壮な姿を見ることができる。
上桂川の河原で昼休み。
昼休みが一番好き、学校も旅も
亀ノ甲橋の下で寝転ぶ
雑草で道がほぼ見えなくて迷いかけた
「 山陵汀」という食事処で鮎の塩焼きを食べる
夏といえば鮎の塩焼き。子供の頃四万十川で捕まえたばかりの鮎を塩焼きにして食べたことがあって、その時の味が忘れられなくて夏になるたびに食べたくなる。
夕暮れ。一人なのでかなり寂しかった
あうる京北(京都府立ゼミナールハウス)という宿泊施設で一泊。
大学生料金だと2000円とかで泊まれるからおすすめ。京北で泊まれる宿を探したけど当時大学生が泊まれそうな料金帯だとここくらいしかなかったから選んだ。見晴らしも良くて施設も充実で満足。
僕は当時gotoキャンペーンが効いて確か一泊1500円くらいで泊まれた。安い。
宿の近くにあるソースカツ丼屋さん「レストラン ゆげ」
かなり大盛りにできるし料金も高すぎないし、何より味が本当にうまい。
今まで食べたカツ丼の中で格別だった。
大満足。
本当においしすぎたからお会計した時においしかったですって言ってしまった。
思い出すだけでまた食べたくなる。
絶対行って欲しい。
1日目終了。ストレッチして早めに寝た。
2日目スタート
なんとなくいいなと思った道に進みたくなる。
夏の終わりのじわっとくる程良い暑さ
へびも何匹か見た
春には橋の渡り口の辺りにある桜の木が綺麗らしい。
こんなところにこんなに立派な吊り橋があるなんてなあ、ガイドブックとかに載ってるんやろうか。
生まれたばかりの子供を連れた夫婦が橋の上でホームビデオを撮っていてほのぼのした。
橋渡ってすぐに廃墟が。住み人は吊り橋を渡らないとここに行けない立地。いいなそういうの
無事ゴールし、バスに乗って帰る途中、行きのバスで気になっていた「北山杉の里」でぶらぶら歩く。ここは川端康成の小説「古都」の舞台でもある。
時間帯が夕暮れということも相まって秘境感が増していた。
暗くシンとした場所。
大学生活初のちゃんとしたトレッキング。
家からそんなにはなれてないしもはや京都市内だしっていう近場なのに非日常感を存分に味わえた。
この記事を書いたのはこの旅をしてから半年後くらいだけど、今思えばこの京北の地を歩いたことで京都愛が湧いてきた気がする。
こんな近くにこんなにいい景色があるのに僕は2年もの間知らずに生きてきたのかって。これを機に京都市内での行動範囲がかなり広がった。歩いても行くし自転車でも行くし。
京都一周トレイルの市街地の周りを回るコースに比べてこの京北コースは人が通った跡がかなり少なかったように思う。あんまりこっち歩きにくる人はいないんだろうな。草をかき分けて道を作っていく感じも楽しかったりする。
夏休み暇だったらぜひ
じゃーまた。
雪が降ったら即チャリンコ漕ぐべし
2020年12月17日 京都市街地初積雪。
京都に住んでいながら、雪が積もったのに家に籠ってみかん食ってる場合じゃない。
市街地は雪が積もったとはいえ遅くても10時ごろには大抵全部溶けてしまう。
それまでが勝負だ。
この日は朝8時までバイトがあり、雪が降ってるのみながらどこに行こうかと考えていた。
雪月花三名園の一つ、雪の寺とも言われる妙満寺か
あるいは定番の清水寺か
妙満寺は家から近いしまた行けるからいいかなと思ってこの日は清水寺に行くことにした。
バイト終わり、朝ごはんを食べてすぐ、チャリンコこいで河原町まで。
こんなに天気が良くて雪が積もったところを見れるのは珍しいんじゃないかな。思ったより清水寺に人は少なかった。
よく雪が降った時に撮られている時ほど積もってはいなかった。もっと早くに行ければなー。
開門は朝6時だからバイトがなければもっと早くに行ける。
懸け造り・スキー
ちなみに清水寺の舞台から正面を見た時の景色ってあんまりよくないじゃないですか。じゃあなぜこんな方向に建てたかっていうと、答えは清水寺の「水」の中に隠されています。そう、水....清水...音羽の瀧。
崖と清らかな水といえば仏教の世界では観音菩薩様の住む補陀落を連想する。
その清水に向かう方向にあるというわけだ。
ともかく、雪が降ったら即チャリこいでお寺行こうな!!!!
京都一周トレイル 元旦に全コースを一日で踏破すべし
2021年1月1日午前0時0分開始、元旦に京都一周トレイル全コース周っちゃおう企画。
京都一周トレイル 全コース1Day 元旦 / べーたさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
全長75kmのコースをジャスト20時間かけて駆け抜けた。この年は数年に一度の大寒波の影響で雪がかなり積もっていて積雪は深いところで40cmオーバー。この日のために購入した登山靴とアイゼンのおかげでなんとか進むことができた。この時期登山する人は必須アイテム。
この京都一周トレイルのコースはかなりうまいことできている。
トレイル全体は75kmあるが、地図自体は東山コース、北山東部コース、北山西部コース、西山コースの4パートに分けて配布されている。
まず、簡単にそれぞれの特色を書いていく。
<東山コース>
全長24.6km
Start 京阪伏見稲荷駅
Goalケーブル比叡駅
このコースは比叡山を登り始めるまでは基本的に市街地のすぐ横の山を伝っていく。伏見稲荷や泉涌寺、将軍塚、蹴上、大文字山などの名所を辿りながら進んでいくため景色に飽きない。比叡山もそれほどきつい坂はなく全体的に気持ちよくハイキングができるコースとなっている。ゴール地点のケーブル比叡駅からの景色は絶景。
<北山東部コース>
全長17.9km
Startケーブル比叡駅
Goal二ノ瀬駅
横高山,水井山のあたりの坂がかなりきつい。大原を抜けてから鞍馬へ向かう薬王坂もかなりの激坂。けど大原、鞍馬と市街地北部の観光名所を通るので楽しい。
<北山西部コース>
19.3km
Start二ノ瀬駅
Goal清滝金鈴橋
きつい坂の多さではこのコースが一番多い気がする。夜泣峠、向山、小峠、京見峠....。
ひたすら景色の変わらない山の中を進む。その分下り坂が多いのは楽しいけど。
山道しんどかった分高雄から清滝に向かうまでの清滝川沿いのコースは気持ち良い。
<西山コース>
10.7km
Start清滝金鈴橋
Goal苔寺谷
嵐山の観光地を歩ける、一番京都を感じるコース。鳥居本とか常寂光寺,二尊院,竹林の小径の近くとかetc...
渡月橋を渡って阪急嵐山駅の近くを通ったら最後の山、松尾山へ。
疲れた時のこの山がとにかく効く、すごく長く感じる。
では少ない写真だけど感想を
「深夜、深い雪の積もる山道の途中に突如現れる鳥居」ってだけで興奮する。
登山靴じゃなく普通の靴でここまで来ている男子大学生がいてびびった。絶対足の中雪染み込んでめちゃくちゃ冷たいぞ。
この辺りではアイゼンをつけて歩く。一番雪が深かった。
前日、京都新聞で鞍馬寺付近が40cm以上の積雪とのことで少し不安だったけど思ったより積もってなくてよかった。
では以下、この企画の面白さを書いていく。
ポイントは三つある。
1、優越感
2、初日の出が見れちゃう
3、精神の追い込み
1、優越感
一月一日と言えば、誰しも何か新しいこと始めてみたいと思いつつも三日坊主になるのも嫌だし何をしたらいいものかと決めかねている時だ。ここで敢えて山に登ってみると良い。「特別感」は少なくとも保証できる。正月くらいゴロゴロしたいのが普通だから。僕だってしたかった。けど敢えて行く。敢えて。
あと、そもそもだけどこの企画が出来るの時期は大学生にとってかなり限られている。
このチャレンジをした次の日は筋肉痛で一切歩けないので少なくとも二日は予定を空けておかなくてはいけない。
しかも、
二月 期末考査
三月〜五月 花粉症の人は山に登れない
六月 梅雨
七月 前期期末考査
八月〜九月 暑すぎて水を何リットルも持って歩かないといけない
十月〜十一月秋はクマが活動活発化していて怖い
こんな感じで、友達と二人で登るとしたらベストの時期はゴールデンウィークの花粉症がぎりぎり終わる時期か、1月、12月の雪が積もってない時期かの二択になってしまう。
そんなこんなで友達との予定の兼ね合いで1月がベストだとなって、せっかくなら1月1日に登ってやろうと提案したのが発端だ。
あとこの日に京都一周トレイル全コース制覇すればその年で始めて京都一周トレイル制覇した人になれるよ。
2、初日の出が見れちゃう
僕の歩いたペースでいくと、ちょうど比叡山山頂から水井山のあたりで初日の出が登ってくる。このあたりの山で一番高い所に位置するため、琵琶湖のあたりまで景色が見える。京都市の一番東にあり、かつ一番高い山の上から見る初日の出は京都市一番の絶景と言っても過言じゃないと思う。ここで元気が出た。75km不眠登山をしたかった理由の
3、精神の追い込み
75km不眠登山をしたかった理由の一つに、満身創痍で疲れのピークが来て精神的に追い込まれた時にその先に自分がどういう感情になるかを見たかったというのがあって、それを人工的に作り出せる気がしたのが今回の企画だった。なので感情面のことを長文で書き留めておく。
今回の企画は高校からの親友と二人で行った。
20時間も登山してたら眠気とか疲れで機嫌悪くなるタイミングもそりゃあって、友達はそれがほんとに最後の最後(嵐山の辺り)で来て、愚痴やイライラが聞いてて辛かった(僕なりにかなり準備したりこの日のために事前にコース走ったり天気,安全性の確認したりしてこの人となら一緒にできるって人を誘ってなんとか始まった企画で結構楽しみにしていたからそういうのを否定されること言われると腹立つ以上に悲しくなった)ので、そういう心境を伝えて最後は気持ちよく終わらせてくれと伝えようか,松尾山(最後の山)は登らず終わりにしようかなどと考えてたんだけど、それっぽい内容をぽろっと口にした(気持ちよく終わりたいからここで終わりにしてもいい的な内容)時に「でも○○(僕)にとってのいい終わり方は最後まで走りきることなんやろ、なら最後まで行こ」って言われて、こんなに疲れてイライラしててもそれだけは理解してくれることを知った。
高校時代から誰よりも同じ時間過ごしてきた,僕の無茶に沢山着いてきてくれた親友に対して僕が言わずとも(疲れのピークでイライラする中でも)相手はなんとか僕の希望を叶えようと努めてくれているのにその可能性すら考えてなかった自分の考えの浅さにハッとして、そもそもこの無茶な企画も僕が考えて僕がお願いして着いてきてもらったんだから僕はお礼を言うべき立場だったと思い返した。そんなことを考えてるうちに最後の山の山頂も過ぎて下り坂に突入して、残り数十メートルってとこになったから「なあ○○(親友) 今日はありがとうな」って言ったらほんの少し前まで機嫌悪かった友達が「何を今更笑」って笑って答えてくれて、「まあ○○(僕)が言い出さなきゃこんなこと出来なかったからな笑」って言ってくれたところでゴールした。最後の階段を2人とも降りて、ああ終わったな〜って言ってお疲れって握手の手を差し出してくれたから握手して、いつもの僕たちの関係性に戻って笑いながら,一日の思い出語りながら駅まで歩いた。
もしあそこで、僕が「最後くらい気持ちよく終わらせてくれ」って不満げに言っていたらどういう終わり方になっていたんだろう,その言葉の出る可能性はありがとうという言葉のすぐ横に少し前まではあったんだよな、って事を考えて、一言の言葉の重み、違い、言葉が口から出る背景とかをとても感じた。
この、一言で関係性が180度変わるというのは数ヶ月前にも経験してて、その時は間違った方の言葉を選んでしまった(不満げとはまた違う意味で)から余計に。そのたった一言の間違いで、恋人に嫌われてもう半年話してない。あと数ヶ月したらちゃんと謝りに行く。
いい年にすっっっぞおおおおおおおお